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日本民衆のDNA

第83号

(平成23年01月)

天道館管長  清水 健二

産経新聞での記事より《戦国時代末期に来日し織田信長や豊臣秀吉に謁見(えっけん)を賜ったイエズス会の2人のイタリア人司祭がいる。一人は南蛮寺を建立したオルガンティーノであり、もう一人は天正少年使節団の生みの親である巡察使ヴァリニャーノである。両司祭がイエズス会総長にあてた手紙が「日本巡察記」に残されている。

オルガンティーノ曰く「私達は互いに賢明に見えるが彼等(日本国民)と比較するとはなはだ野蛮であると思う」。ヴァリニャーノ曰く「一般庶民や労働者でもその社会(日本社会)では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ(中略)下層の人との間にも我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、一般にみな優れた理解力を有している」。

共通しているのは日本の民衆に対する高い評価である。明治維新後の急速な近代化も戦後の驚異的経済復興もこうした民衆レベルの高さというDNAなしには実現不可能であったに違いない。−− 元検事総長 但木敬一》

他国からこのような賛辞を受けた戦国時代の日本国民は現代の我々とは大変異った生き方であったことは想像出来る。他国からは国の為には死をも恐れない貴い日本民族だと思われていたに違いない。

それに引き替え昨今では東アジアの中でさえ日本は軽んじられる始末。武芸しかり相撲に見られるごとく発展途上型の方が目的意識を持ち始終体を張って自分がやっていることに自分が生かされていることを悟っているように見受けられる。

先人が伝えてくれたすばらしい日本文化を絶やすことなく、例えば礼法一つをみても日本人にとって人を敬う心、己に備えを持つという意味を含む日本文化の最たるものである。しかし時代の変化の激しさは人を無神経にし勝ちで、携帯電話など文明の利器とは言え頭だけを重視して体をないがしろにすることは神経伝達が末端まで及ばなくなり、頭の中で空転し、体は身勝手な振舞いをするようになる。体の隅々まで神経が行き渡らなくなると心身のバランスがとれず人間関係や自然との調和が一層難しくなる。

戦国時代の規律とはいかないまでも、もっと自由と規律をもって泰然と生きたいものである