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回想 - 40周年によせて【2】

第80号

(平成22年02月)

天道館管長  清水 健二

「お前何やってんだ、そんなんじゃ効かねえよ!」

私が内弟子時代の話である。一般稽古終了後に個人指導をしていると相手(渡辺弥栄司・現弁護士)に対して何処から入って来たか知らぬ者が訛(だみ)声で怒鳴った。渡辺氏は道場長から大切な方なのでしっかり頼むといわれていた人物である。

振り返ると年配の骨格のいい男性がニコニコしながら、私に一礼し「失礼しました」と。私は一瞬注意をしようとしたが、稽古人の渡辺さんが止められた。

「あの方は私が呼んだんです」

本人から「佐橋です」と自己紹介があり、即入門された。私が渡辺さんとは別の日に指導ということになった。

当時、佐橋さんは通産省事務次官を退官して間もなく、渡辺さんは同じ通産省の通商局長であった。

でもその時、稽古している相手に対して初めての道場に見学に来た者があのような声は出さない。いや出ない。

渡辺さんは静かなジェントルマン、佐橋さんは頑固親父という感じを受けたが、後で、丸っきり違ったタイプであることが分かった。凄く頭の柔軟なそして人懐っこい方であった。

最近、当の佐橋滋氏のことがテレビで放映された「官僚たちの夏」(原作:城山三郎著)のモデルとなった人物で、異色官僚または天下らないので有名であった。佐橋さんは稽古においても大変運動神経が良く、勘が鋭い方であったが、しかし私の指導時の技に時々逆らう佐橋さんを強く投げる、極めることもあった。私の技を試そうとされたのだろうが、そうは行かない。親子ほどの歳の違いはあったが、私は自分の稽古を兼ね少々厳しくやった覚えがある。それを佐橋さんは喜ばれた。

その後、佐橋さんから「暇な時は事務所へ気分転換にいらっしゃい」と誘われ、六本木の佐橋経済研究所という事務所に度々暇を見つけてはお邪魔したものだ。女性秘書に村上さんというとても感じ良く応対して下さる方がいらっしゃった。佐橋さんも気さくでいつでも気分良く、事務所への出入りが楽しかった。昼食には佐橋さんは日本そば、私はカツ丼をよくご馳走になった。

いつも佐橋さんとは気負わず色々な会話が出来たが、ある時私は「どうも仲間とうまく合わせることが出来ず、つい敵に回してしまう」という自分の欠点を話したことがある。すると佐橋さんから「敢えて敵を作っちゃよくないが、しかし敵がいるということで生きる張り合いになる」という返事をもらった。このことは私の人生にとって大きく考えさせられた言葉であった。【次号に続く】

≪かわら版編集部から≫

清水管長と佐橋滋氏との親交のほどは、昭和44年5月号の文芸春秋にこのようなくだりが掲載されています。

「佐橋は合気道を明大出身の清水五段について学んだが、その眼の美しいことに惚れこみ、=中略=『佐橋経済研究所』の所員にしたいというほどの力の入れようだ」。 この一節は評論家・草柳大蔵氏の「佐橋滋 天下らぬ高級官僚」という実録人物伝で紹介されているものです。